地域情報

沖縄市

沖縄市のイチオシ!

沖縄市コザ運動公園では、沖縄初のJリーグチーム「FC琉球」や、バスケットボール「琉球ゴールデンキングス」、ハンドボール「琉球コラソン」が、白熱した試合を見せてくれる。アフタースポーツは、ロックや琉球民謡など様々なジャンルの音楽が楽しめるライブハウスや、海外からの観光客も多い癒しスポット「東南植物楽園」がおすすめ。植物園には特徴ある南国の4大植物、ヤシ、ハス、リュウケツジュ、バオバブがあり、日本でここだけでしか見られない景観を満喫できる。

市町村概要

【施設PR動画】

【地理的概要】
■位置・土地
沖縄市は沖縄本島の中央部(北緯26度20分、東経127度48分)に位置し、県都・那覇市から北東約20kmの距離にあります。総面積は49.0k㎡で、市域の9割は標高100m以下で、中城湾に面する東海岸部からの斜面地域が西北部の丘陵地へと広がっています。
市域の北部は多くを米軍施設で占められています。中部はなだらかな傾斜地で、国道330号と国道329号が交わるコザ十字路を中心に全域が用途地域になっています。東部は大部分が海岸低地からなり、近年市街化が進行しています。西部は戦後、胡屋十字路周辺を中心に米軍基地の門前町として発展を遂げた地域で、市域の中心地になっています。
土地利用については、居住地、農業地域、森林地域、斜面緑地、米軍基地などに大別されますが、米軍基地及び自衛隊基地が市域の35.89%を占めています。

【地域概要】
■人口
沖縄市の人口は、平成22年(2010年)の国勢調査において130,249人となっています。前回調査(平成17年)から3,849人増加しており、県内市町村では2番目の人口となっています。世帯数も前回調査より3,349世帯増えて47,999世帯となっていますが、世帯構成は2.68人と少なくなっており核家族の進行が見られます。
また、平成26年度の高齢化率は16.9%となり、平成22年度の15.2%に比べると1.7ポイント増加しています。年少人口(15歳未満)は19.2%で、前回調査に比べ1.3%減少しているものの全国の市町村では10位、市では4位となっています。なお、本市には米国人をはじめ40か国余1,171人(平成27年1月1日)の外国人が住んでいます。

【地域的特性】
■産業
沖縄市の産業別就業者数(平成22年)を見ると、第三次産業が72.23%と最も多く、第二次産業が14.89%、第一次産業は1.20%となっており、第三次産業の比率が圧倒的に高くなっています。中でも卸売・小売業、サービス業、医療・福祉が高い比率を占めています。(資料:総務省統計局平成22年都道府県・市町村別統計表)沖縄市では近年、国際文化観光都市としてエイサー体験やスポーツコンベンション、ミュージックタウンなど本市の個性を活かした観光資源の開拓に努めています。また、情報関連産業や知花花織などの伝統工芸の振興にも努めています。しかしながら、若年層の失業率が依然として高く、農漁業、製造業などの地場産業の振興を含めた産業の創出が大きな課題となっています。

■自然
都市化が進むにつれ、自然環境は減少しますが、本市北部の嶽山原(たきやんばる)と呼ばれる地域には、沖縄本島北部の”やんばる”のような豊かな森が広がっています。この他、倉敷ダム、知花グスク周辺にも自然の林や森が残されています。
また、比謝川流域では水棲植物や動物を見ることができます。中城湾の泡瀬干潟には多様な海辺の動植物が生息しており、沖縄有数の渡り鳥の飛来地になっています。比屋根湿地帯には多くの水鳥が訪れ、特に湾岸に位置するマングローブ林には、様々な水鳥たちが集まりバードウォッチングの絶好のポイントになっています。

【歴史的特性】
沖縄市の市域には室川貝塚や八重島貝塚などがあり、古くから人が暮らしていました。12世紀から15世紀のグスク時代には、現在の字につながる集落が形成されていたと考えられています。
1429年に誕生した琉球王国は、行政手段として間切(現在の市町村にあたる)制度を導入しました。1666年には越来間切から与儀・比屋根・西原(現美里)以下15村を分離して美里間切が新設されています。
明治政府の誕生から4年後の1872年(明治4年)琉球国は琉球藩となり、1979年(明治12年)には廃藩置県によって沖縄県となりました。1908年(明治41年)の沖縄県及島嶼町村制の施行によってそれまでの間切が村に改められ、越来村、美里村が生まれました。
1941年(昭和16年)からはじまった太平洋戦争では、戦争末期に沖縄県は壮絶な地上戦にみまわれ、多くの犠牲者を出しました。沖縄本島中北部はいち早く米軍の支配下におかれ、各地に難民収容所が設置されましたが、その1つにコザ地区がありました。沖縄戦終結後の1945年(昭和20年)9月には、難民収容所を中心に急激に人口が増えた地域に市制が敷かれ、越来村が古謝市、美里・具志川一帯が統括されて前原市となりました。その後、米軍により移動が許されると人口も減少し、翌年には市制も解かれ、再び越来村、美里村に戻りました。
その後、嘉手納基地の門前町として発展した越来村は1956年(昭和31年)6月、村名をコザ村に変更し、同年7月に市へと昇格してコザ市となります。さらに本土の復帰から2年後の1974年(昭和49年)、コザ市と美里村が合併して「沖縄市」が誕生しました。かつて琉球王国時代には同じ間切りだったコザ市と美里村が、308年ぶりに再び一つの市となったのです。
新生・沖縄市では、さらなる発展を目指して、1974年(昭和49年)に「国際文化観光都市」を宣言しました。社会資本整備や商店街の近代化が進められ、沖縄本島中部地域の中核都市に発展してきましたが、近年、車社会の進展や社会経済の変動にともない、まちの姿も変貌しています。2014年(平成26年)、沖縄市は市制施行から40周年を迎えました。現在、エイサーや音楽など、独自の文化を大切に守りながら、スポーツコンベンションの拠点としての東部海浜開発計画や、中心市街地の活性化事業などで、新しいまちづくりが進められています。

【文化的特性】
■文化
沖縄市は第二次世界大戦後、米軍基地の門前町・基地の街として発展を遂げ、県内各地の地域文化にアメリカ文化や移民国の文化などが加わり、各国の文化が渾然一体となった特異な文化風土(チャンプルー文化)が形成されました。
特に芸能音楽についてはジャズ、ロックなどの海外音楽に加えて、エイサーや沖縄民謡などの民俗芸能が盛んとなり、”音楽のまち・沖縄市”を特徴づけるものとなりました。また、欧米、中南米、アジアなどの食文化も多彩で、市内には様々な国と地域の料理店があります。チャンプルー文化は市民のアイデンティティー形成にも大きな影響を与えています。

沖縄市Webサイト

お役立ち情報

INFORMATION