地域情報

今帰仁村

市町村概要

【地理的概要】
今帰仁村は、沖縄本島北部、本部半島の北東部(北緯26°40’ 43″、東経127°58’ 29″)に位置し、那覇市から北へ85㎞。東から東南部にかけては名護市、南西部から西は本部町、北は東シナ海に面し北東約1.5㎞には古宇利島があります。

【地域概要】
村の南側は、乙羽岳(標高275m)を中心に、山並みがほぼ東西に延びています。その山麓から北および東に向かって緩傾斜地となり、さらに平坦地が広がり、耕作地は集落を中心に広がっています。村内の河川は、村の中央部を呉我山から仲宗根を通り東シナ海へと注ぐ大井川(二級河川)と今帰仁城跡の東側を流れる志慶真川(普通河川)があります。その外に四本の普通河川があり、いずれも南から北方向へと流れ東シナ海へと注いでいます。
面積 本島部:36.74㎢、離島部3.13㎢で、総面積39.87㎢

【地域的特性】
本村の中心市街地には、酒造所や製糖工場、陶器工房、歩いて回れる地域密着型の商店街及び地域特産品の販売や食事ができる「今帰仁の駅そ~れ」など、店舗や工場が立地しています。地域密着型の商店街や店舗・工場などの資源を、有機的連携や広域的ネットワークの観点から最大限活用し、振興に努めます。

【歴史的特性】
世界遺産 今帰仁城跡                            
今帰仁城は、琉球が中山に統一される前の「三山鼎立時代」には山北(北山)王の居城とし、また中山が三山を統一後には琉球王府から派遣された監守という役人の居城でした。外郭を含めると7つの郭からなり、その面積は首里城とほぼ同規模で、城を囲む石垣は地形を巧みに利用し曲線を描き、城壁のディテールは美しく、沖縄屈指の名城です。 2000年に座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽と共に本村の今帰仁城跡の九つの遺産が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産リストに登録されました。
また、「今帰仁」のことを古くはオモロや辞令書で「みやきせん」とうたわれ、また『海東諸国紀』(1471年)には、「伊麻寄時利」と記され、近世になって「今帰仁」と表記されるようになります。今帰仁の面する領域は、1666年以前は現在の本部町を含む本部半島の大半を占める大規模な間切(今の村)でした。しかし、1665年に第二監守時代の監守が首里に引き上げると、翌年に今帰仁間切は今帰仁と伊野波(本部)の二つの間切に分割され、ほぼ現在の規模となりました。
今帰仁間切の番所(後に役場と改称)は運天港に所在し、大正5年に仲宗根に移転しました。間切には地頭代をはじめ総耕作当や夫地頭や首里大屋子や掟などの役職がありました。間切の長は、地頭代、間切長、さらに村長へと改称され現在に至っています。

【文化的特性】
今帰仁村は豊かな自然と歴史文化の薫り高いむらであります。各集落にはクサティ森を背にした石灰岩大地を中心に分布しており、御獄の森、フクギ屋敷林、伝統的民家などが至るところでみられます。また、沖縄には昔から各地に馬場があり、農村における民俗行事や畜産奨励のための競馬などに利用されてきました。しかし、ほかの馬場は去る沖縄戦で破壊されたり、あるいは耕地や宅地になったりして元の形を失っており、昔から有名なこの仲原馬場だけが従時の面影を残しています。仲原馬場は幅約30m、長さ約250mの長方形になっています。その両側は約1mの高さに土を盛り上げ前面に石を積み、上部は芝生で被われた観覧席になっています。観覧席の枝振りの美しいリュウキュウマツ(琉球松)は、陽光をさえぎって快い憩いの場をつくり、また戦前まではアブシバレーのウマバラセー(競馬)の際に馬の係留にも利用されたりしました。
今帰仁村では4月に古宇利島マジックアワーRUN(ハーフマラソン)が開催され県内外から多くの参加者があり、景勝地「ワルミ大橋」、「古宇利大橋」を走るルートで村の一大スポーツイベントとなっています。

今帰仁村Webサイト

お役立ち情報

INFORMATION