地域情報

伊是名村

市町村概要

【地理的概要】
本村は沖縄本島の北方に位置し、那覇市の北西95.4km、今帰仁村運天港から北へ27.8 km、フェリーで約1時間の地点にあります。総面積は15.44k㎡で、有人の伊是名島(14.16k㎡)、無人の屋那覇島(0.74k㎡)・具志川島(0.47k㎡)・降神島(0.07k㎡)の4つの島々から成り立っています。伊是名島は、琉球列島が太古の昔に何度か隆起と沈降を繰り返し影響を受けた結果、猛毒のヘビであるハブが生息しない事も特徴の一つです。

【地域概要】
本村の人口は、平成27年9月30日現在1,531人(住民基本台帳)です。島の周囲は16.7kmでほぼ円形をなし、南東から北西に向け、標高80~120mの山が5つあり、これを分水嶺として、東部、西部の海岸線へ緩やかな勾配をもって農耕地、集落が広がっています。集落は、南に伊是名区、西に勢理客区、東に諸見区・仲田区、北に内花区の5区から構成されています。
【地域的特性】
本村の産業は、農業、漁業、建設業、観光関連業等から成り立っています。基幹産業の農業は、さとうきびを中心に稲作や各種の野菜類を栽培しています。水産業ではモズク養殖が盛んに行われ、県内外へ出荷、さらにその農水産物を利用した特産品の開発(6次産業)商品が脚光をあび、各種イベントや観光関連事業と共に新しい産業としての取組が促進されています。観光分野においては、県内外から修学旅行生の受入れ、いぜな尚円王まつり、こんがりここなつ島体験ツアー、モータースポーツ大会などが開催され、村の一大スポーツイベントである「いぜな88トライアスロン大会」は今年で第28回目を数え、村民一丸となって行う行事として定着し、毎年600名余りの選手がエントリーしています。
【歴史的特性】
本村は、琉球国の第二尚氏王統の始祖「尚円王」の生誕地として広く知られています。尚円王は、伊平屋島(現在の伊是名村・伊平屋村の総称)の出自で、また、三山を統一した尚巴志王の祖父鮫川大主は、伊是名城主だったと伝えられています。尚円王生誕以降、伊平屋島は格別の扱いを受けて大美御殿の直轄領となりました。この頃から「いひゃぬ島々(七島)”いひゃぬななはなり”」は、一つの行政区として取り扱われ「伊平屋島」と総称され、番所は伊是名邑(現在の字伊是名)に置かれていました。明治12年(1879年)の廃藩置県で群区制度となり、明治14年に那覇区伊平屋島、明治29年に島尻郡伊平屋島、明治41年の島嶼町村制度になって島尻郡伊平屋村となりました。その後、分村運動が起こり、昭和14年(1939年)7月1日付の分村許可司令により島尻郡伊是名村と島尻郡伊平屋村に分村し、それぞれ単独行政となりました。昭和17年に字諸見から分字した内花区が誕生し、現在の5自治区に至ります。伊是名島には、尚円王関連史跡として、国指定重要文化財の「銘苅家」をはじめ、県指定文化財の「みほそ所」や「伊是名城跡」、「伊是名玉御殿」など、その他にも数多くの歴史・文化遺産が残されています。
【文化的特性】
伊是名島には、人々の暮らしと深く関わりを持つ祭りが脈々と受け継がれています。中でも旧八月十一日に行われるティルクグチとイルチャヨー祭りは、それぞれ豊年と航海安全を祈願する対照的な祭りです。言霊の思想を表す「ティルクグチ」は、十三世紀頃、稲作を奨励する意味で謳われたもので、琉球最古の古謡といわれています。一方、「イルチャヨー祭り」は、県内でも伊是名島と伊平屋島にしか遺されていない貴重なものです。琉球王朝時代、進貢船の船員は伊是名出身者が多く、船員たちの航海安全を祈願したのが始まりといわれています。そのほか、毎年字勢理客・仲田・伊是名・諸見区では、稲の豊作を祈願するウンナー(旧六月豊年祭)が行われ、大綱引きや担がれた板の上で組み合いをするスナイ、沖縄相撲大会が夜を徹して行われ独特の光景が見られます。また、各字で盛大に行われている村遊び(旧八月豊年祭)では、荘厳な伝統芸能として、青年会を中心に組踊が上演されています。

伊是名村Webサイト

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