地域情報

糸満市

糸満市のイチオシ!

西崎運動公園内には、スポーツ合宿にも対応している宿泊研修施設「ホテル スポーツロッジ糸満」があり、ビジターも利用可能な大浴場やサウナも完備。レストランでは地元 食材を使った和食中心のヘルシーメニューが味わえる。また、隣接する全長約1.5km の「西崎親水公園」は、園の中央を自然に近い川が流れ、リラックスタイムの散策にぴっ たり。公園から車で10分ほど走れば、リゾートビーチ「美々ビーチいとまん」で、マリンアクティビティやビーチスポーツ、バーベキューも楽しめる。

市町村概要

【地理的概要】
沖縄本島南部は、島尻層群を基盤岩とし、その上を琉球石灰岩が覆うという地形構造になっており、本市も主にこの両地質で構成されています。この島尻層群と琉球石灰岩からなる地域には、断層が縦横に走り、地集の境界あるいは急崖を形成する要因でもあります。そして、北西部の沿岸域の中心市街地と埋立地一帯は細かい粘土や砂などの沖積層からなっています。
また、土壌は地質構造の影響を受けており、島尻層群からなる地域には保水性のある肥よくな灰色のジャーガルが分布し、琉球石灰岩からなる地域には保水性に乏しい赤色の島尻マージが分布しています。
地形をみると、島尻層群がみられる北部は、緩斜面と急斜面が織り成す比較的変化のある丘陵地形となっており、東部には標高168mの与座岳があります。それに対し、琉球石灰岩で覆われている中央部から南部は、石灰岩台地の平坦面が断層によって切断された傾動地塊となっており、瓦屋根を重ねたような南に緩やかな斜面、北に断層崖を持つ台地群からなる地形です。そして、摩文仁の丘からは崖下にサンゴ礁が広がり、すばらしい眺めを堪能することができます。また、北西部の沖積層からなる埋立地と市街地は、平坦な低地を形成しています。
水系は、東から西へ全長約10kmの報得川が市を横切って流れています。

【地域概要】
糸満町・兼城村・高嶺村及び三和村はともに行財政力に乏しく、面積・人口・産業、その他の事情に照らしても自治運営に適切な規模とはいえなかった。そこで、行政運営が合理的かつ能率的に、しかも財政力の強化を図るとともに文化的産業都市の建設を目指し、1961年10月1日には糸満町・兼城村・高嶺村及び三和村を廃止して、新たな糸満町が誕生した。
糸満漁港北側の川尻地先埋立事業や(第1次埋立)や糸満漁港の浚渫にともなう消防西側埋立事業(第2次埋立)が竣工し、市域の拡大が図られていった。
合併5年目には町予算が100万ドルの大台を突破し、ようやく町政が軌道に乗り出した。また、高等弁務官資金によって琉米文化会館や各字の公民館が建設されるなど、社会資本の整備が着実に進められた。
産業の振興と諸施設の充実、住民生活の向上を図るため、合併10周年を迎えた1971年(昭和46)12月1日には市制を施行して、新たに糸満市としてスタートとした。
一方、市民生活も向上し、生産意欲も高まり、産業まつり等が拡大充実され、さとうきび価格貫徹農民大会も初めて開かれた。また、新糸満漁港修築工事と公有水面埋立事業(第4次埋立)も着々と進められた。
1977年(昭和52)には戦没者の33年忌法要慰霊祭が厳かに行われ、一つの区切りがなされた。それから、翌78年(昭和53)7月30日には県下一斉に交通方法が変更され、これまで右側通行であったのから左側通行になり、ロータリー周辺の街の様子も大きく変化した。

【地域特性】
那覇から南へ約12キロ。沖縄本島最南端にあるまち、糸満。糸満ロータリー付近、国道331号の海側には、ウミンチュ(海人)のまちとして知られる糸満の市街地が広がり、マチグヮー(市場)には、たくましいアンマー(お母さん)たちの声が飛び交っています。
市街地を抜け、さらに南へと車を走らせると、車窓に飛び込んでくるのは、さとうきびの穂がゆれる田園風景。「ここは離島」と見まちがうほどの、のどかな風景に、新鮮な驚きを隠さずにはいられません。
糸満には沖縄のなかでも独特の時間が流れています。旧正月を祝い、旧暦の5月4日祭りでは、海の恵みに感謝し、航海安全と豊漁を祝い、旧暦の8月15日には大綱を引きます。月の満ち欠けとともに生きる糸満には古き良き風習が、脈々と受け継がれているのです。

【歴史的特性】
糸満市には、現在38か所のグスクが確認されている。『おもろさうし』によれば「くめすよのぬし」や「いしやらよのぬし」、「やまきたらすさへ」、「やまくすくたたみきよ」、「ふくしおわるよのぬし」、「まかひおわるよのぬし」、「あはこんの大や」などといった有力者たちが、各地にグスクを築いて群雄割拠していた。中でも「しものよのぬし」は、最も有力な支配者であったようである。
字大里にある南山城には、大里按司をはじめとする承察度・汪応祖・他魯毎と続いた南山王統がおり、その支配は「しもしましり」と呼ばれた兼城・大里・真壁の範囲から、次第に豊見城・喜屋武・摩文仁・東風平・具志頭・玉城・知念・佐敷・島添大里にまで及んだ。そして、沖縄本島を中山・南山・北山と呼ばれた3つの勢力が覇を競う三山鼎立時代には、承察度は中山に次いで1380年に中国に朝貢し、進貢貿易を展開した。
「大さとは さとからる、かでしかわ みづからる」と歌われた嘉手志川(カディシガー)は、その豊かな水量で南山城下の田畑を潤し、南山繁栄の基盤をなしていた。しかし、他魯毎はこの川と佐敷の小按司(尚巴志)の持つ金屏風とを交換し、臣下の信望を失い、ついには巴志によって滅ぼされたという。

【文化的特性】
毎年旧暦の5 月4 日には、航海の安全、豊漁祈願の海の祭りである糸満ハーレーや名城、喜屋武ハーリーが行われています。
また真栄里の大綱引きは、県内各地に伝わる綱引きの中でも、古式の形態を残しています。稲の収穫儀礼と豊作祈願、子孫繁栄の願いを込め、雌綱と雄綱をカヌチ棒で結び、住民が西(イリー)と東(アガリ)に分かれて引き合う豪快な綱引きです。この他エイサーや棒術なども盛んに行われており、市民にとって大きなイベントとして定着しています。
糸満で正月といえば旧正月のこと。チータチ、ジューグニチ(旧暦一日、十五日)とういように月の満ち欠けで一年を数えます。お祭りもすべて旧暦に沿って行われます。
糸満の海人は旧正月に合わせて漁港に戻り、色鮮やかな大漁旗を漁船に飾り、旧正月を祝います。

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